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青空文庫よ待っていろ、いまこそ書評をくれてやる
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青空文庫は、著作者の死後50年の経過した作品だけでなく、作者が著作権を保持しながらも無償で公開することを求める作品に対しても門戸を開いている。しかし、収録作品リストをながめていると、過去の文豪が記した文学作品の電子化されたものが目立っている。何故か。
青空文庫の趣旨に賛同した人びとが、ボランティアを申し出てたくさん集まってきた。彼等彼女たちは青空工作員と呼ばれている。ある者は文学作品をせっせとテキスト入力し、またある者は底本と付き合わせながら文字校正を行なう。その行為は貴く美しい。じつはぼくも、梶井基次郎の作品の校正を手伝わせてもらったことがある。しかし、底本と突き合わせながら思っていた。なぜ梶井基次郎なのだろう。紙の本の電子化なんだろう。
開設当初は過去の文学作品と現存する著者が自ら公開を申し出た作品に偏りはなかったように思う。当時はまだ登録点数も少なかったからかもしれない。しかし、最近は底本を元に青空工作員が電子化したものが幅を利かせている。その傾向は強まっているように思えてならない。
青空文庫は、過去現在の作品を問わず、広く門戸を解放した電子図書館だ。そこには紙の本を絶対的価値とする愛書家読書家とは違った人たちがやってくる。そこにアクセスするのは、オンスクリーンでの読む行為もまた読書であるということを、受け入れようとする人びとだ。いわば新しい読書を受け入れようとしている人たち。
青空文庫には、こんな方向に進むこともできたはずだ。たとえば読者にとって新しい読書の対象が集約された文字どおりの図書館となり、送り手にとっては紙の印刷媒体では出逢うことのなかった新しい読者との出逢いの場となることが。
プロのモノ書きのみなさんは、もっと自分の文章を発表する新しいチャンスとして活用すればいいのに。いまだモノ書きを生業とせざるアマチュア諸君は、世間の評価を得るための絶好の場として、青空の上で自分の作品を世に問うてもいいのに。
いまや多くの人がホームページを立ちあげ、自分のテキストを公開している。紙の本として刊行した著作を、まるごと公開しているプロの文筆家がいる。初めて書いた小説を、誰かに読んでもらいたくて公開している高校生がいる。彼等彼女たちが青空に投げあげるところまでいたらない理由はナンダロウ。
書評、がそこにないから、というのは穿った考えだろうか。
電子図書館という新しい書棚ができた。新しい本を受け入れる読者がやってきた。次は読者の水先案内人となる書評の出番だと言えないだろうか。
さて、なにやら青空文庫批判のようになってしまったが、貶めることはぼくの本意ではない。ぼく自身、青空文庫が好きだし、呼びかけ人の人たちとはネットで親しくお付き合いさせていただいている。むしろ、青空文庫に対して長い間、どこも書評機能を持つことができずにいたことをはがゆく思っていたくらいなんだ。三権分立ではないけれど、デジタルなものについても、送り手と受け手との間に、案内人という立場が成立し得るなら…そう願っている。
<参考文献>
書評同人 多村栄輝(ポシブルブック倶楽部)
青空文庫 http://www.voyager.co.jp/aozora/copyright Ether Tamura 1999
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