Interview

『共生虫ドットコム』村上龍---------------------------

『共生虫ドットコム』エグゼクティブ・プロデューサー 榎本正樹さんへのインタビュー--------------------------

Hはインタビュアーの松本、Eは榎本さん。ひつじ書房の事務所にて2000年10月19日に行った。

H 榎本さんは、現代文学の批評家、研究者であるわけなんですが、このプロジェク トにはどいういう関わり方をされたんでしょうか。

E 全体の構成を統括する仕事です。私が一番年上ですから(笑)。私は村上龍の全作品を読んでいますから、そういう立場から発言を求められるということです。メンバー5人は、ネット的な関わりで集まりました。村上龍のファンサイト「龍声感冒」からきた人もいますし、e-mailを送ってきてそれでスタッフになった大学生とか、いつの間にか、感覚が合う仲間が集ってチームができていったような気がします。

H 半年の期間限定だったんですね?

E はい。最初は数カ月という感じで考えていたんですが、結果として半年になったということです。プロジェクトへの関わりということでつけ加えておきますと、私は作家の取り巻き評論家のようなポジションで仕事をすることを避けたいと思ってきました。今回、龍さんとも制作班のメンバーとも、ニュートラルな関係で共同作業を行うことができました。村上さんの全作品を無批判に評価するような立場に私は立っていませんが、今回の『共生虫』は傑作だと思いました。私の批評・研究のテーマ「インターネットと文学」と完全にリンクした作品ということもあり、参加することにしたわけです。

H 「インターネットと文学」ということについて、説明していただけますか?

E 大学で教えているのですが、今日、授業で「インターネットは人間の欲望を吸い取ってくれるスポンジのようなメディアである」と言ったんです。学生の一人が、「本当にそうなんですか?」と遠慮のない質問を寄こしましたが、インターネットを心理学の立場から定義すると、結局そういうことになると思います。言語や文学の立場からインターネットを定義すると、言葉が流通する場所、あるいは言説が交錯する場ということになると思います。ネット上で言葉は戦いあっています。このことを実感させてくれたのが、まさにKyoseichu.comだったわけです。掲示板への書き込みは1000以上になりました。掲示板というのは日々衝突があるんです。一方で、淘汰される言葉というものもあります。表現能力の低い人間が、気軽に書き込んでしまうと、その発言は無視されます。言葉の論理性、正確に表現する表象能力というか表現能力が問われます。ネットの上で、正確かつ論理的にメッセージを伝えるためには、表象技術という言語テクノロジーが必要ですからね。世間ではITが声高に叫ばれていますが、ITにとってもっとも必要なのは、コミュニケーション能力、情報環境の中での言語表現能力ではないでしょうか。

H 村上龍さんは、運営にどのくらい関わっていたんですか。

E 基本的には5人のメンバーで議論しながらサイトを運営していきましたが、村上さんからは貴重なアドバイスやサジェスチョンをもらいました。オリジナルCGの提供などもありました。プロジェクト用のメーリングリスト作ったんですが、龍さんの発言は多かったですよ。龍さんの日常に完全にメールは入り込んでいますし、世界中どこからでもメールを送ってきます。フットワーク=ネットワークをもっとも駆使している作家の一人だと思います。

H 小説の中身に入りますが、ひきこもりというのもありますが、それとともにネッ トのコミュニケーションと毒ガスというのが、大きな比重をしめているとおもうので すが、榎本さんはどういうふうにとらえていらっしゃいますか?

E 引きこもりをしている主人公のウエハラという青年に、インターネットのメールでいろいろな言葉が届きます。ハッカー集団が、共生虫を自分の中に飼っている人間は人を殺すことが許されている存在であるというマインドコントロールをウエハラに対して行うわけですが、ネットにおいて非常に巧妙に操作して書かれた言葉は、一種の兵器という様相になりうるということです。一方で、『共生虫』には本当の兵器、毒ガスが登場します。毒ガスは、微量で都市を壊滅させることができます。現実世界において言葉は兵器たりえませんが、ネットで実現されるような小さなコミュニケーションの場においては、言葉を介して、人を発狂させたり、人を殺させたり仕向けることが可能かもしれません。特にネットに慣れていない純粋な人に対しては、効果があると言えます。『共生虫』は、言葉と毒ガスという二つの兵器──それは「パワー」と言い換えることができると思いますが──によって覚醒した怪物的な存在が描かれた作品だということができるでしょう。

H インターバイオが電子メールで登場している時は、すごいなって感じですが、実 際に現れた人物たちはあれれ、というところがありますよね。

E この本の中にも書きましたが、インターバイオのメンバーが集まるシーンで、一人はウォークマンをしている、他のものも勝手にしゃべっている。3人がコミュニケーションがとれていないんですね。ここにも言葉の病い、関係性の病理が現れていると思います。文学はテキストによって表現されるものなわけですが、そこには2重性があります。つまり、言語的葛藤や言語的摩擦、言語的病理が文学というメタ言語によって記述=表現されているということです。読んでいくとわかるのですが、『共生虫』はマルチフォント、マルチポイントで構成されています。表現によって使い分けられているんです。そういう試みは今までの文学作品の中にはなかったと思います。

H 「 」を注意深く使わなくしているということと、対になっているんですね。最後 にインターネットのサイトに関わって感じたことは何でしょう。

E ひと言で言えば「ネット的消耗」ということでしょうか(笑)。松本さんは、インターネットを日常的に活用されている編集者なので、この辺の感覚をわかっていただけると思います。これは何なんでしょうね。長期間の展開だったら、きつかったかも知れません。誤解を招くといけないのでつけ加えますと、コミュニケーションの場というのは平準な空間ではなくて、それ自体、「闘争の戦場」だということですね。まともなコミュニケーションをしようと思ったら、ネット的消耗を覚悟しなければなりません。それは、私として嫌な疲労と言うわけではないのですが、今回のプロジェクトではそのことを強く実感しました。

榎本さんの紹介
日本文学研究者・批評家。「ワイヤード日本版」、「ダ・ヴィンチ」などの雑誌と研究の分野という研究と批評を往復する貴重な人。松本との関わりは、95年の秋の段階で、松本にとっての初めてシンポジウムに松本を引き出すなど慧眼の人、恩人という関係。この時のシンポジウムの内容は、『文学するコンピュータ』に収録されている。『希望の国のエクソダス』のサイトの運営にも関わっている。主な著書は以下の通り、『文学するコンピュータ』(1998 \2,200  彩流社)、『大江からばななまで』 (1997 \2,500 日外アソシエーツ 共編)、『大江健三郎の80年代』(1995 \2,427 彩流社)、『電子文学論』(1993 \1,942 彩流社)、『野田秀樹と高橋留美子』(1992 \1,748  彩流社)




榎本さんのホームページ共生虫ドットコム


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