メドラインの公開
世界最大の医学データベース「メドライン」が昨年6月からインターネット上で無料公されています。これに関連していくつか記事を書きました。おのおのそのさわりの部分を紹介します。
(『社会運動』今月号所収予定)
3800医学誌データベース
息子の心臓障害のことでメドラインに大変お世話になった。メドライン(Medline)は、世界3800の医学雑誌の記事を集めたデータベース。古いもので1966年から880万件もの記事(概要)がキーワード検索できる。
ほう、手術しなくとも心臓の穴が直せる治療法が○○大学ではじまったか。おお、ヨーロッパでも成功した……。
私たち一家がアメリカに来た頃、手術によらないで息子の先天性障害(心房の中壁に穴があり古い血と新しい血が混じる心房中隔欠損症)を直す治療法がはじまっていた。通常は開胸手術をして直す。しかし、新しい治療法では、カテーテルという太股の血管から管を挿入して内側から心臓中壁の穴を塞いでしまう。子どもの胸を切って肋骨をバラして心臓にメスを入れて、という(多分)荒っぽい手術を、もしなしで済ませられるならそりゃあ親としてできる限りのことをしたい、と思う。そこで、この最新治療技術の行方を、ずっとこのメドラインで追っていた。
メドラインは医学界で最も権威ある世界的なデータベース。日本の雑誌も載っており、研究者は、ここに情報が載る雑誌でなければ論文を書きたくない、と言われる。日本では一部の研究機関でしか使えない。研究機関につとめる友人に情報収集をお願いした時にも、このメドラインを検索してくれた。
開放される大学図書館
5年半前アメリカに来て、一般市民も大学で自由にこのメドラインにアクセスできるので驚いた。アメリカの多くの大学キャンパスは市民が自由に入れ、図書館も通常フリーパスで入れる(拙著『インターネット市民革命』(御茶の水書房)、9章参照)。
本はもちろん、データベースも自由に使える。私の場合は、近くのカリフォルニア大学サンフランシスコ校(医学大学院)に行って、このメドラインを初め、各種本格的雑誌・新聞データベースを使っていた。昨年もこの大学からノーベル賞受賞者が出ている。そういう本格的な研究大学院の図書館に市民が自由に入り、メドラインにもアクセスできる。普通の市民でも、そのじょそこらの不勉強な医者よりずっと最新の医学知識が入手できる。カテーテルによる新心臓治療法についても、かなりの専門医以外、情報をもっていなかった。
新治療法はある程度技術の確立を待った方がいい。しかし、子どもが大きくなる前に穴を塞いでおかねばならない。しかし、その辺の難しい判断をするのにメドラインも大いに役立った。もちろん、いろんな医者に助言を聞くが、親もそれなりに勉強して判断に加われる。特にアメリカでは、いろんな医者の助言を聞きながら、最終的には親の主体的な判断にまかされる、というシステムだった。
ほう、日本でもはじまったか……。94年末、日本の医学誌に載った埼玉医科大学などの治験報告をメドラインで見つけ、私たちは日本で根治治療を受けさせることにした。アメリカでは、既往症扱いになる先天性疾患には保険がきかない。日本なら先天性心臓病の治療は医療補助で無料になる。だから、そこでの治験開始はうれしいニュースだった。ミネソタ大学で先進事例が多く蓄積されているのもメドラインで知り、こちらにもコンタクトしていた。同大学の先生も日本での治療を薦めてくれた。
96年夏に埼玉医科大学で「経カテーテル閉鎖術」を受けた。ウチの子の場合、穴が大きかったため若干不規則な閉鎖結果になった。でも一応ふさがった。もう少し待てば治療は完璧になったろうが、子どもの成長期がせまり、ぎりぎりの選択だった。
その時間との駆け引きに、滑り込んでセーフという結果になった。親としては、子どものためにやれることの最善をつくしたのでは、と思うところがある。
インターネット上での無料公開
以上の経緯を考えれば、メドラインをインターネット上で一般に無料で提供せよ、とネーダーグループが要求を掲げた時、私はもっと敏感に反応すべきだった。人の生き死にもかかわる本格医学データベースを、ネット上で徹底的に公開することは倫理的にも社会政策的にも当然考えられることだ。
が、私は、いくら何でもそれは無理な要求では……と思ってしまった。雑誌や新聞の記事データベースはアメリカにも日本にもたくさんある。それらは主に商業データベースで、非常に高額だ。だからこういうものを無料でインターネット上に出してしまえ、というのは、いくら何でも無理では、と思ってしまったのだ。
しかし現実は私の想像を超えて進んだ。咋年(97年)6月、メドラインは、インターネット上で無料公開された。米国立医学図書館のホームページを見ていくと、そこに多くの医学データベースとともにメドラインがあり(http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/)、だれでも自由にこの世界最大の医学データベースが使える。インターネット上だから、何時間使おうが何件検索しようが、完全に無料だ。
私は誤解していた。メドラインは、商業データベースでなく、国立医学図書館(NLM)という政府機関作成のデータベースだった。政府データベースの公開を求めるネーダーグループは、当然にもそのリストにメドラインを加え、インターネット上での完全無料公開を求めた。国民の税金でつくられたものを正当に国民に開放せよ、と。
メドライン公開のお知らせには「医療消費者が積極的に検索結果を医療提供者と話あうこと」が目標として掲げられている。市民が医学情報を得ても、医者に変われるわけではない。しかし、市民が自由に専門情報にあたれれば専門家と対等に話す患者側の力を向上させることができる。何も知らなければ、医者のいうことを黙って聞く以外ない。メドラインの公開には、医療における「消費者」の立場をエンパワリング(強化)する思想があった。
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あとは月刊『社会運動』今月号参照
岡部一明(在米ジャーナリスト)